帝塚山学院 帝塚山同窓会

キリマンジャロ登山とアンボセリ・サファリーの旅日記

キリマンジャロ登山とアンボセリ・サファリーの旅日記

参加者: 福西加代子  井上摩紀  尾崎妃佐子  川田哲二(前3名はエベレスト時のマネージャー)
ツアー参加者は他に8名   計12名と添乗員1名(道祖神)

8月8日(土)19:00 関空に集合
9日(日)0:30(カタール航空QR821便)離陸
5:45 ドーハ着(ドーハ時間、日本時間より6時間遅い)
8:00 ドーハ発(カタール航空 QR532便)
13:10 ナイロビ着  Silver Springs Hotelへマイクロバスで移動

10日(月)7:30 同ホテル前発(混乗バス)
12:15 ナマンガ(国境)着  ケニア出国~12:30 タンザニア入国
15:20~16:20 アルーシャ(Arusha)にて昼食
18:00 モシ着(Keys Hotel・キーズホテル)
バスの移動は悪路の中、10時間を超える。


登山開始の前日初めてキリマンジャロの全容を見た。
11日(火)8:25 キーズ ホテル発(マイクロバス)
9:35 マチャメ ゲート(Machame Gate・1800m)下車
10:07 ゲート発(登山開始)
12:40~13:12(中間地点・昼食弁当)
15:24 マチャメ ハット(Machame Hut 3000m)テント泊 

いよいよキリマンジャロ登山の開始である。 大木に囲まれた樹林帯を行くと、早速数匹のブルーモンキーの姿に会う。
緩やかな登り、所々に咲く花を写しながら、山登りを楽しむ。歩調はすべてPole Pole(ゆっくりゆっくり)。

樹林帯の中で背負ってきた弁当を開く。味はどれもよし(パン、かしわのから揚げ、果物、マンゴジュース) この山は富士山と同じく、火山の山なので、どこを歩いても火山灰ばかりで、靴もズボンも服も真っ白になるくらいだ。 テントサイトに到着後、配られたお湯で鼻の穴を掃除するとタオルが真っ黒になる有様。

夕食は大きな食堂テントの中、椅子とテーブルが並んでいる。すべての料理の味は日本での味と変わらないのでほっとする。 夜中、小便に起きるとなんと満天の星空、本当に手の届くほどに近くに見える。真上にサソリ座が広がっているのが見事。


登山開始の日に出会ったブルーモンキーの姿。

12日(水)8:05 マチャメ ハット発
9:20 岩の上で休憩
10:40 見晴らしのいい岩場で休憩 
12:12 シラ ケーブ(Shira Cave・3720m)テント泊

樹林帯を抜けると、やがて中・低木がまばらになり、景観が変わる。遠くの岩山が美しい。歩調はどんな時もポレポレ。 (日本でも流行りそう、ネパールのビスタールと同じ)
近くの枯木にカラスが2羽、なんと胸が白いカラスだ(パンダガラスという人も)。野草の写真を撮って顔を上げるとフラリとする。 高度の影響かも。大きく左にトラヴァースしながら稜線に出ると今日のテント地である。広々とした平地だ。地名の通り、近くに岩の洞穴がある。 我々隊員たちは思い思いに草の上に陣取り、午後の時間を楽しんでいる。

次第に見知らぬ隊員たちとも仲良くなれる時間帯でもある。夕日に焼けるキリマンジャロの姿に、各自カメラを向けている。 確かに美しい。沈みゆく夕日も格別の景色だ。夕食のパスタがまた美味しく、誰もが食べすぎのよう。今夜も満天の星空だった。

13日(木)8:00 シラ ケーブ発
11:30~12:00 昼食弁当
12:14 本日の最高地点(4420m)
15:30 バランコ バレー(Barranco Valley・3900m)テント泊

緩やかな斜面をポレポレと歩く。確かに疲れない。ガイドのサイモンが先頭で、なかなか休んでくれない。  もう2時間も歩き続けているというのに。昼食後さらに登りが続き、やがて広い峠に出る。ここが本日の最高地点(4420m)のようだ。 これより2度ほど大きな下りが続く。周囲の景色も一変し、背の高いサボテンのような植物があちこちに見え、誰かが、 ジェラシックパークの世界やと大喜び。恐竜こそいないが、何とも不思議な世界の中にいるような錯覚を起こす。 そのサボテンの上に、尾の長い鳥が止まっている。添乗員の羽鳥さんは「ハチドリ」だという。

テント地に着いたあと、カメラを持って一人ハチドリを求めて歩いた。なんとかカメラに収めてテント地に帰る。 夕食後、添乗員の羽鳥さんが計画の変更を持ち出す。明日、2日間の行程を1日で行き、翌日頂上へ、 その後の下りを短くしたいとの提案を全隊員が了承する。

登山3日目、高度が高くなるにつれ、樹林帯はなくなり サボテンの森になってくる(ゼラシックパークの世界だ)。



テントとキリマンジャロと満天の星、手が届きそう。

14日(金)7:50 バランコ バレー発
11:30~12:40 カランガ(Karannga 最初の宿泊予定地)にて昼食
15:40 バラフ(Barafu 4600m)テント泊

目の前にキリマンジャロの頂上に向かって、急峻な岩壁がせりあがっている。その岩場を縫うようにルートが目に見える。 なかなか手強そうな様子である。早速福西さんが不安な顔つきを見せている。「大丈夫、ガイドさんがリードしてくれるから。 ここを越えなければキリマンジャロの頂上は登れないよ。」と励ます。

ここを越えるともう引き返すことは難しくなる。1時間ほどで岩壁ルートを越え、振り返ると一夜を過ごしたテント場が小さく見える。 また切り立った絶壁に細い滝が2本美しい姿を見せている。4000mを越えての行動が続く。誰の顔にも疲労の色が見える。

やがてKaranngaと書いた標識のある広場につく。本来ならここが今日のテント場になるはずだったが、昨夜計画変更をして、 ここで昼食をとった後、さらに先に向かうことになる。ほとんど植物の姿は見られず、ただ赤茶けた溶岩道を登って行く。 斜面を整地してできたテント場に到着。ここが最終キャンプ地、Barafu (4600m)である。 夕食後、夜中3時の出発まで早めの睡眠に入るが、高度のせいか、興奮のせいか、なかなか寝付かれない。

最終キャンプに入る日、岩場を登る隊員たち。



毎日大きな食堂テントの中で楽しい食事。

15日(土)登頂日
3:00 バラフ発
5:57 5000m
6:30 ご来光(日の出)
9:45 ステラ ポイント(Stella Point・5735m)
10:55~11:15 ウフル ピーク(Uhuru Peak・5895m)
13:30~15:10 バラフにて休憩
16:40 ミレニアム キャンプ地(Millennium Camp・3950m)テント泊 


今日一日の実働時間は約11時間だった。


3:00、ヘッドランプを点けての登攀が始まる。空は星が輝き、風はなく、気温もさほど低くない。 絶好の登頂日和である。火山の山であるからか、富士山によく似た単調な細かな火山灰の登りが続く。 左上方に氷河が懸かっている。隊員たちの足取りが遅々とし始める。PolePoleでもいい、継続することが重要なり。 昨日の夕食時に私が「山登りで一番大切なことは、次の一歩を出すことだ」と話したばかりだった。


みんなその言葉を信じてか、よく止まらず頑張っている。しかし、高度の影響を受けてか、岸和田の松本君が遅れ始め、 二度目の挑戦である東京の岩崎さんも足が止まり始めた。
その人たちに心を残しながら、他の者は先行する。 やがてステラポイント(5735m)に至る。目の前に巨大な広がりをもつ火口が見える。 直径何キロあるだろうか。
反対側の火口には氷河台地が広がっている。左前方に頂上がひときわ高くそびえている。 「ポレポレ ツェンディー(ゆっくり行きましょう)」と声をかける。左に巨大な氷河台地が残っている。


その氷の厚さ50~60mはあるだろうか。1時間ののち、我々8名はガイドたちと共にキリマンジャロの頂点に立っていた。 無風快晴の頂上はまさに幸福の場であった。握手、抱擁、そして涙。記念写真のカメラに向かってみんな笑っている。 どんな山でも頂上に立つ喜びは同じではないだろうか。 再びステラポイントに至り、そこから魔の下りが始まった。まさに富士山の砂走りをかけて下る様と同じである。 大股で走るように駆け下って行く。靴もスパッツも、ズボンも体中火山灰のため真っ白。


2時間少しでテント場に着く。もうくたくただ。マンゴジュースのうまかったこと。やがて次々と隊員たちが帰ってくる。 ガイドに抱えられて下って来る人もいた。今日はこれで終わりではない。 疲れた体に鞭打って、さらに1時間半の下りがあった。ミレニアムキャンプ場に着いた時は疲労困憊の体であったが、 でも満ち足りた心地よい疲労でもあった。夕食時に集まった隊員たちの顔は、登った者も登れなかった者も等しく満足の様子だった。

午前3時テント発、6時30分日の出(ご来光)。右の岩山はマウェンジー山(5149m)



氷河棚の横を登る。頂上はもう近い。

16日(日)8:00 ミレニアム キャンプ場発
9:00 ムエカ キャンプ(Mweka Camp・3100m)
11:30~12:30 ムエカゲート手前にて昼食
13:10 ムエカ ゲート(Mweka Gate・1500m)着
15:00 モシのキーズホテル(Keys Hotel)着


朝からキャンプ場は賑やかである。食後ガイドやポーターたちが集まって、キリマンジャロの歌を披露してくれた。 いよいよ最終日。道もよくなり、土埃も少なくなった。植物も多くなり、プロテアの花が美しく咲いている。やがて樹林帯の中に入り、 道路に花も多くなってきた。


キリマンジャロの最後の姿を見納めて、滑りやすい道を下る。 ムエカゲート手前で最後の食事が待っていた。おいしいパスタを腹いっぱい食べて、ムエカゲートへの最後の道を下って行った。 キリマンジャロ登山の最後を飾るにふさわしい道は間もなく終わりに近づく。


ゲートにはたくさんのマイクロバスが待っている。 我々のマイクロバスはやがてモシのホテルに向かって走る。 部屋に落ち着き、埃だらけの衣服を脱ぎ棄て、久々のシャワーを浴びる。気持ちいい。


山旅の終わりを実感するひとときである。

ロベリア



プロテア



シネシア

17日(月)モシのキーズホテルからアルーシャのインパラホテル(Impala Hotel)へ   朝食も昼食もキーズホテルでとってから、マイクロバスに乗り込み、アルーシャのホテルに向かう。 その間、木彫りの店に寄ったり、マーケットに寄って、各自買い物を楽しむ。


18日(火)アルーシャのホテルから国境を越えて、アンボセリのホテル(Amboseli Sopa Hotel)に移動後、サファリーに出る。  我々の旅も終盤に入る。苦しい登山の後はサファリーを楽しむという最初からの企画である。 再びタンザニアからケニアへの国境を越え、一路アンボセリ国立公園へと向かう。そこは動物王国であり、 野生の動物が目の当たりにできるわけだ。


ホテルに到着の後、早速第一回目のサファリーが始まる。車はトヨエースの改良型で、天井が上がり、立って外が見られる仕組みになっている。 いざ無限に広がるサバンナの世界に。 やはり人気の的は、キリン、ゾウ、シマウマなどだが、ゲレヌク、レッサークドゥ、ディクディクなどあまり名の知られない動物の姿も見られる。 車内はもう感激の声、狂喜の声で大変だ。


夕日の沈む大草原の中に、シマウマ、ヌー、キリンなどのシルエットがアカシアの木々の中に浮かぶ光景につい時の流れを忘れ、 自分すらどこかに置き忘れてしまった。

オリックスとマサイキリン



ディクディク



アフリカ象



サバンナシマウマ



オグロヌー



レッサークドゥー



ゲレヌク

19日(水)一日中、サファリーを楽しむ
午前と午後に分けて、サファリーを満喫する。乾燥したサバンナの広がりの中に、動物の死骸が至る所に転がっている。 猛獣に襲われたのか、飢えで死んだのか、それとも病気なのか。一見のんびりした光景だが、そこには命をかけた生活の営みがあるのだ。 緑に囲まれた湖を見下ろせる丘の上に登った。カバの群がごろごろと寝ころんでいる。ボホールリードバックが一匹だけ水草を食んでいる。 サンショクウミワシが夫婦仲良く枯れ枝に止まっている。


突然添乗員の羽鳥君が「僕はこの丘の上で、彼女にプロポーズをしたんです」と、懐かしそうに語る。みんな唖然とするが、 この景色を見て納得の表情。彼の奥さんはケニア人である。


こうしてサファリーの一日は終わって行く。 小説「キリマンジャロの雪」を書いたヘミングウェイは、この地の動物管理役人だったそうだ。執筆活動をした小屋が残っているので訪問する。 今はバーになっており、当時ガイドをしていたマサイ族の孫さんがマネージャーをしていた。夜、ここから夜行性の動物の姿が見られるというので待つ。 やがてハイエナやワイルドキャットなどが姿を見せてくれた。私が双眼鏡を取りに行っている間に、期待のラーテルが現れたという。残念なり。 こうしてアフリカ最後の夜がやってきた。今夜も天空にサソリ座がその雄姿を見せていた。


20日(木)7:00 アンボセリ発
11:40 ナイロビ空港着
15:00 同空港発(カタール航空・QR533便)
20:00 ドーハ着(約5時間待ち)

21日(金)1:15 同発(カタール航空・QR820便)
16:30 関西国際空港着(日本時間)

14日間の登山とサファリーの旅、私には初めてのアフリカの大地。

見る物聞く物珍しく、久々に童心に帰った気分であった。再びアフリカの大地に立つことはあるまいが、 テレビなどでお目に掛った折りには、過ぎし日々のことを楽しく、また懐かしく思い出すだろう。そして「Jambo!」と声をかけるに違いない。

2009年9月1日    川田 哲二記